2007年11月26日
アバンテ
って何か知ってます??
アバンテは田宮模型(現・タミヤ)が生産していた電動ラジコンバギー。
1988年3月31日発売。キット価格34,800円。
田宮模型の電動ラジコンバギーとして、レース専用をうたった初の製品である。駆動効率や整備性の向上を目指し、さまざまな新機軸が導入された。また、軽量化や安定性向上を目指し、多数のオプションが販売された。試作オプションを組み込んだ改良試作車が、1988年(昭和63年)の電動オフロードカー全日本選手権で7位入賞を果たし、イグレスの原型となった。
1980年代、マイティフロッグ、グラスホッパー、ホーネットなどの相次ぐ発売によって盛り上がりを見せていたラジコンオフロードバギーのカテゴリーは、1985年のホットショット発売を契機に爆発的なブームに発展した。タミヤRCカーグランプリやコロコロコミックなど巧みなメディアミックス戦略と共に、ブームを引っ張ったのが全国各地で開催されたラジコンレースである。F1やWRCラリーが実車の技術開発と販促に多大な貢献をするのと同様、ラジコンレースは単なる遊びの場ではなく、メーカーにとって技術をフィードバックし、顧客である少年達に自社のマシンをプロモーションする場であった。
実際、この戦略は効果的であった。圧倒的な企業規模とブランド力を持つタミヤに対抗する為、当時最もレースを活用したのが京商と横堀模型(現ヨコモ)である。それぞれ京商オプティマ、ヨコモドッグファイターを元に、大幅に改造したプロトモデルを世界選手権に投入し、両社で表彰台を独占した。その後、レースで活躍したマシンを「世界選手権優勝」の売り文句で発売し、それらは大いに売れた。特に当時の横堀模型は企業規模も小さく、初代ドッグファイターを見れば分かるように開発力も十分ではなかったが、レースタイムと共にのし上がり、ワークスチームに参加した広坂親子の巨人の星的カリスマ性もあって、今日では主要なラジコンメーカーとなっている。
このような状況にタミヤは一歩引いた態度を取っていた。元々、他社を排除した「タミヤグランプリ」という大会を運営するなどモンロー主義的、あるいは中華思想的傾向があり、またタミヤの哲学として「美しさ」と「組み立てやすさ」を両輪にしている以上、全てを犠牲にして速さだけを追求するレースシーンはタミヤにとって好ましいものではなかった。
だが、ラジコンレースが益々存在感を増す中で、世界的なレースで活躍できないタミヤ車に子供たちから、「タミヤ車は遅い。」「性能が良くない。」という悪評が立つに至り、もはや看過できない状況となった。そこで「眠れる獅子」タミヤが、「速さ」と「美しさ」という相反する目標を両立するべく、全精力を傾けて開発したマシンこそ、アバンテなのである。
(以上、ウィキペディアより引用)
僕はミニ四駆のイメージしかありませんでした。
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